小説・ss

七日のある前日譚

七日(ヒチカ), 2021/04/19 21:20

「本がない!?」

 さっき確かに本を持ったはずの空っぽの手を地面にベタベタと這わせて叫ぶ。
眼鏡はずれて視界はぼやけているし、地面は見慣れた色をしている。
「またリスポーンしたんですか?」
 これまた聞き慣れた声が呆れた色でため息をこぼす。
「初版のナショジオがあぁぁ…」

 心底、残念である。いや本当に。
英語読めないんですけど。

 眼鏡を定位置に直して、すっぽり頭を覆ったマントのフードを剥す。
 視界に広がるのは何度も何度も死ぬ思い、もとい死にながらも持ち帰った積み本の山脈。
背の高いいくつかの本棚で四方を囲った壁。
出入り口にしている本棚の隙間を布で仕切った玄関。
会議机をカウンター代わりに、ノートPCをレジ代わりに会計をする女性と、その横になぜか堂々と居座っているコモンハイキという黒い生き物。
つい今しがた彼女から本を買ったのであろう冒険者のお客さん。

 見慣れた景色を前に、気を取り直して立ち上がる。
「兎に角食べたい」

 4月1日。
 自分に何が起こったのかよく覚えていないが、その日、世界は崩壊したらしい。
 ライフラインやインフラは崩壊しているため、彼女が使っているノートPCもローカル以外につながることはない。
 ただ、名古屋にいるはずの七日はなぜか東京にいて、気が付いたら来たこともない国立図書館っぽいところで半泣きになりながら迷子になっていた。

 そこからなんやかんやあって、この店というのはお粗末すぎるここの店主の本屋で冒険者のようなことをしている。
 冒険者とは名ばかりで、「国立図書館ダンジョン」と呼ばれるこの場所で本を漁り、店に持ち帰り、本に埋もれ、時々冒険者をつれて国立図書館ダンジョンを案内する図書館ガイドをする。
 しかし体力はさほどなく、その上方向音痴なので、帰宅は大抵瀕死というお粗末なガイドだ。

「いい加減、普通に帰ってきてくれませんか?心臓に悪いんですよ」
 店主は会計を済ませた冒険者を見送ると、こちらに目を向けて苦い顔をする。
「お肉食べたい」
「お目当ての本が手に入らなかったからって会話を放棄するのやめてくれません?」
 彼女はそう言いつつレジにお金を戻すが、今日の晩御飯はお肉料理な気がする。

 元々ここの司書だったらしいこの女性の名前は知らない。
 だが、名古屋に帰る術を失った七日を店に置いてくれている非常に良い人ではある。
こんな世界で女性一人で店を切り盛りできる程度にはきっと強いのだろう。しらんけど。
 とはいえ、彼女のおかげでこの世界でもそこそこ不自由なく暮らしているのも事実。
 何より、本を持って帰ってくるだけの七日とは異なり、その本を管理して、商品として店として成り立たせ、あまつさえ七日の衣食住も任せてしまっているのだから、彼女にはどうあがいても頭が上がりそうにはない。

「そういえば、いけだ先生から新しいお薬預かりましたよ」
 数時間前に冒険者から買い取った兎に角をあまり美味しくはない鍋にして囲みながら、店主は紙袋を七日に差し出した。
紙袋を開いてみると見知った錠剤が瓶詰になって入っている。

 4月1日に起こったAFと呼ばれる現象以降、様々な願いが叶ったという噂があったが、七日の持病は治ることはなった。
 どんな願いも叶う現象ならばこれを真っ先に治してもらいものだが、相も変わらずこの体に変化はなく、この死ねない世界でもし持病薬の入手ができなければ……というのはあまり想像したくもないものである。

 幸い彼女や彼女と知り合いの冒険者の伝手で「いけだ先生」という人物と繋がりができ、ダンジョンから持ち帰った本やそれを売ったお金で、定期的に薬を受け取ることができた。
 とはいえこの人物、偉い人らしいがとても医者には見えない。
 七日が拾ってきた人間の革の表紙の本を嬉々として買い取ったり、魔導書を片手に店主と語り合ったり、白衣ではなく黒のトレンチコートだったり、医者というよりは詐欺師かそういった類の人だろうと七日は思っている。ちゃんと薬はくれるけど。
 人間の革の表紙の本、読んでる途中だったし。

「ありがとうございますって伝えないとね」
「それよりも珍しい魔導書を持って帰ってきた方が喜ぶような気もしますよ?」
「七日わかる」
 頷いて応える。
 せっかく薬が手に入ったのだから、またしばらくダンジョンに潜るかと鍋から出した肉を口の中で転がしながら考える。
 初版のナショジオ取りに行かないとだし。

「ところで、ハイキがなんでいるの?」
 兎に角鍋を挟む店主と七日に並んで、堂々と箸を手に、期待した眼差しでコモンハイキが鍋をのぞき込んでいる。
 このよくわからない黒い生き物はダンジョン内でも度々見かける、この世界においては珍しく無害?な生き物である。生き物なのか正直怪しいが。
「いけだ先生に付いて来て、そのまま置いていかれたみたいです」
 店主は気にする様子もなく、コモンハイキを横目に鍋を突いたり、麦茶をコップに注いでいる。無害ならば確かに気にする必要もない。
「なるほど」
 爛々と目を輝かせ(ているように思う)、食べもせずに兎に角鍋を箸でつつくコモンハイキを眺める。鳥に似た足やしっぽ、大きめのぬいぐるみのようなサイズ。
 七日の視線に気づいたコモンハイキも、大きめなその目でをじっと見つめ返す。

 数秒の沈黙の後、「ハイキっておいしそうだよね」と一言溢すと、店主が口に含んだ麦茶を少し吹いたのが視界の端で捉えることができた。

「いっくっぞおおおおおおおおおお!!」
 翌朝、元気いっぱいに叫ぶ。
図書館いっぱいに響き渡る声。
隣でコモンハイキも両手を広げる。
 壁や本棚にはここぞとばかりに貼られた「館内ではお静かに」の張り紙が目立った。
 所狭しとテントを張ったここの住民たちは非常に迷惑そうにこちらをちらりと見るが、七日だとわかると興味なさそうに目をそらした。
ちょっと悲しい。

「ハイキ、持ち物確認!」
 気を取り直してさっきよりは小さめの声でコモンハイキに目配せすると、どやああとハンカチとティッシュを両手に持ってこちらに向けてくる。
正直、このダンジョンでそれは役に立たない。
「ともかく、いくぞ!あ、忘れ物忘れ物……店主さーん、クロッキー帳取ってー」
 このくだり、すでに三度目である。

「さて、行くよ!目指せ!初版のナショジオ!」
 傍らのコモンハイキも手をパタパタさせて後に付いて来た。

 とはいえ、元は国立図書館であるこの場所は見渡す限りがすべて本。
あっちこっちへ軽快に、足はまっすぐ道草に突っ込んでいく。
 ダンジョンとはいえ、入り口付近のコトナリは狩りつくされていて、それほど危険ではない。
 それと同時に、ここいらにある本はどれもこれも目新しさもない一般的な本。
持ち帰っても、あまり価値はない、非常にかわいそうな本たちだ。

 さらに奥に行けば行くほど危険が増し、本の価値も上がる。
 そういえば昨夜は「アーサー王を今度こそ倒す!」と50人弱の大規模な討伐隊が結成されてダンジョンに突っ込んでいくのが見えた。
 店主曰く、圧倒的に夜型の人間の多いこの図書館ダンジョンでは死活問題で、わざわざ外からも冒険者を雇ったとのこと。
 今朝、何人かが入口にリスポーンしているのを見かけたが、相当強い相手らしい。
できれば安全な場所からその様子を観察したいものである。

 とはいえ、ここはダンジョン。
「すでに兎に角が大量です」
 先に入ったであろう討伐隊の通った道は、いたる所に角の生えたウサギが突き刺さり、何匹かは床に白目をむいて転がっている。パッと見た限り20匹はいそうな勢いだ。
 兎に角と呼ばれるこのウサギは、ダンジョンでは一般的なモンスターで「コトナリ」というらしい。
 これらの他にも様々なコトナリが存在するらしく、昨夜の「アーサー王」もその一種だと、眠そうにする店主を叩き起こすとすごく迷惑そうに教えてくれた。

「おいしそうだけど、今はそんなにいらないかな」
 完全に伸びていた丸々と太った一匹の手足を縛って背負っていたリュックに入れると、視界の端で何かが暴れ狂っているのがチラついた。
「うわぁ、そりゃ痛い」
 ちょうど額を貫いたのだろう1匹が横たわる男性の顔面の上でバタバタと暴れまわっている。しばらくすれば彼もリスポーンするだろう。

「これだけ兎に角が討伐されてたら、ちょっと奥まで行けそうな気がするね」
 浮かれ口調でコモンハイキに目を向けると、視線の先にコモンハイキの姿はなく、数メートル後方で兎に角に貫かれていた。
ビクンビクンとまな板の上の魚が跳ねるように血まみれの床の上で転がるコモンハイキに思わず顔が強張る。
「OH……できればもう少し頑張ってほしかった。荷物持ちとして」
これも日常茶飯事である。

 ダンジョンに入って数時間。
 迷いに迷い、時に道草を食い、なんなら兎に角に襲われつつ、二回ほどリスポーンして店主さんに「ただいま」と「行ってきます」を繰り返す。ちょっと今日は多めだ。
 お目当ての本も見つからず、とりあえず一息と本の山を背に腰を下ろす。
「つーかーれーたー」
 見渡す限り視界いっぱいの本なのは天国と言っても良いが、読みたい本が一向に見つからないのは地獄と言ってもいい。
鞄の中身もそろそろいっぱいで、道草で見つけた薄い本やR指定、連載漫画を数冊詰まっている。
「今日はもう帰ろうかな……ん?」

 背にした本の山を下から見上げると、どことなく見覚えのある背表紙がひょっこりと突き出していた。

「お、これはっ!!?」
 決してお目当ての本ではない。でもそれ以上に興味をそそられる。
「月刊ムー!!?しかもISBNコードがない!?」
 目をキラキラと輝かせて、七日は若干厚めのその本を躊躇なく引っ張り出す。
「すごいすごい!これ絶対良いやつ!七日知ってる!これ持ってかえr」
 言い切る前に思わず言葉を失う。
 自分の背丈よりも遥かに積みあがる本の山。
それは絶妙なバランスと、芸術的なまでの重なりで積まれていたのだろう。
でなければ、一冊引っこ抜いただけで雪崩になって本棚を巻き込んで倒れてくるなどありえない。
 七日は半泣きになりつつ「本望ですとも、えぇ」と言葉を絞り出すので精一杯だった。

 いつもの床じゃない。
 目を覚ました七日はゆっくりと体を起こす。
国立図書館ダンジョンの床は比較的平らで、こんなにも凸凹にごつごつしていない。

 見渡すと、非常にお粗末な作りの牢屋の中。
 七日と同時に起きたのだろう顔布をした少年が体を起こし、見知らぬ白髪の少年がこちらを見下ろしていた。
「やぁ、目が覚めたかい?」そんなようなことを白髪の少年が口走る。

 あの、すみません。それどころじゃないんです。

「本がない!?」

 視界いっぱいの天国はどこ行った!?