小説・ss

コトナリのグルメ

いけだ, 2021/04/18 23:02

 日が傾き、空気は急速にその熱を失い始め、わずかに残ったぬくもりさえも冷気を纏った風が奪い去っていく。もう時期としては、綿貫を越えたあたりだが、夜の寒さがなくなるにはまだ早いらしい。
 「さてと……」
 冷気に染まる廃墟の街がほのかに彩られる。かろうじて残った家屋の庭に一斗缶を持ち込んだいけだが焚火を始めた灯りだった。羽織っていた黒いコートを崩れかけのクローゼットにかけ、赤いワイシャツの袖をまくる。鞄の中から一通りの調理器具を取り出すと庭に組んだ簡易的なテーブルに転がす。天板に使った木製の扉にナイフが転がり耳触りのいい音を奏でるが、その音に一瞥をすることもなく、体をひるがえすと、キッチンの冷蔵庫だったものに向かう。少し硬い扉を力任せに開けると中には氷の塊とその上に置かれている3つの生肉の塊があった。
 「うん、いい感じですね。」
 その生肉の一つに手を伸ばし、そのにおいを軽く確かめる。多少の血なまぐささの奥にかすかに甘く香ばしい肉の香りが鼻をくすぐる。熟成はしっかりと進んでいるようだ。今度は肉を少しだけ指で押し込んでみる。程よい柔らかさに筋膜の張りが食べごろであると示していた。それらの肉をすべて取り出すと、再び庭に出る。
 「ウォウ、ウォウ。」
 そんな彼の足元に飛びつくように近づいてきたのは青い体の小さな豆シヴァ。その体躯を全力でいけだの足に預けて独特の鳴き声を上げる。いきなりのタックルにおっと、と小さな声を上げて驚くが、手に持った肉の塊を落とさないように体をひねって回避する。
 「わかっていますよ。あなたが兎に角を捕まえたのです。ちゃんと差し上げますよ。もちろんあなたにもね。」
 そう言って視線を焚火の方に向けると、そこには小さな段ボール箱に座って、すでにお皿と箸をもって待ち構えているコモンハイキがいた。コモンハイキはコクリと小さくうなづくがこちらから視線を外すつもりはないらしい。
いつものことと気にせず簡易テーブルに向かうと、そこで兎に角の肉を乗せ、ナイフをもって手際よく調理を始める。すでに皮もはがれ血抜きも施された肉の筋に合わせてナイフを入れる。兎に角はその強靭な後ろ脚と、突き刺したときの首周りへの衝撃のため、両部位の筋肉と骨が異常に発達している。もちろんこのまま食べることもできるが、それではせっかくの御馳走が干し肉のような硬さになってしまう。いくつかの筋肉を切り離すと、近隣の家から拝借したフォークでザクザクと肉をいじめていく。中に残っていた血が少しだけあふれ、薄いピンク色に艶やかな紅をさしていく。一通りいじめ、まるで寝そべる娼婦のようになった肉たちを前にいけだは満面の笑みを浮かべる。
 「さてさて、この極上のかわいこちゃんたちをどうしましょうかねぇ……。」
 両手を軽くもみながら、あたりを見渡すと、さっきまで焚火の前に座っていたコモンハイキが持っていた食器を箱の上に置き、どこかに行ってしまっていた。そして、あれほど足元でうるさかった豆シヴァも同様にいない。不思議に思いいけだが振り向くと2匹が仲良く揃ってこちらを見上げていた。豆シヴァはどこからか拾ってきたミックスビーンズの缶詰と小さな手鍋を咥えて。コモンハイキはいけだのダレスバッグを抱えて。
 「……あぁ、なるほど。いいですね。採用です。」
 いけだは軽くウィンクすると、それぞれを受け取りテーブルに広げる。
まずは手鍋に豆シヴァの持ってきた缶詰を開ける。中からは赤や緑、黄の豆がゴロゴロと零れ落ち、鍋の底に絨毯を敷く。そこに先ほどまで艶めかしく横わたっていた兎に角の肉を一口大に刻み、それらを鍋に片端から放り込んでいく。そして、バッグの中から薬の材料でもあるローリエとナツメグをそれぞれ崩しながら入れ、最後に持っていた飲料水を200mLほど加える。ある程度いっぱいになった鍋にアルミホイルを落とし蓋にしてかぶせ、一斗缶の上に置く。幸い、一斗缶の端に載せる形で安定したのをみて、コモンハイキにこぼれないように見ておくように伝えると次の調理に入る。
次は残った2匹の肉たちに持っていた塩、ローズマリー、フライドガーリック、タイムを惜しげもなくかけ、よく揉みこむ。あられもない姿になった2匹をそのままホットサンドメーカーに入れ、上からメガホンポ製の“超スーパーウルトラエクストラバージンオイル”を軽く回し入れる。黄緑色の油が2匹に艶を出したのを確認したところでホットサンドメーカーを閉じて火に少し遠めに当てる。2,3分して中でぐつぐつと音を立てる揺れを感じると、ゆっくりとひっくり返す。間からあふれる油が焚火に数滴落ち、ハーブの香りと肉の甘いにおいが火の粉と一緒に舞い上がる。
「ん~、いい匂いですね。頑張ったかいがありましたね。」
脇で構えている豆シヴァに視線を落とすと口元からはよだれがあふれ出し、足元に水たまりを作っていた。その横に座っているコモンハイキは今か今かといつも以上に目を増やして出来上がりを待っている。
 いつも以上に穏やかな気持ちになりながらもホットサンドメーカーの中からあふれる蒸気をみて頃合いと感じたいけだは、それをそっとコモンハイキが座っているものとは別の段ボールに載せて、今度は鍋の方に目を移す。いけだの注意が逸れたのを確認すると豆シヴァはこっそり中を拝借しようとホットサンドメーカーに前足を伸ばす。
 「お手付きしたら、分け前はなしですからね?シヴァくん。」
 背中を向けたままにもかかわらず、まるでそこに目があるように釘を刺された豆シヴァは慌てて前足をしまい、背筋をピンと伸ばして、うぉう!と一言。よろしい、と笑顔を向けると今度こそ鍋の中を覗き込むいけだ。竹串を使って中のアルミホイルをめくるとそこには程よく赤みが取れ、肌色を示し始めていた。テーブルから大きめのスプーンをもってきて中を2度ほどかき混ぜると、それに豆の美しい赤い色が血液のように絡んでいる
 「こっちも完成ですね。」

 料理が完成し、ようやく食卓を囲むことができた1人と2匹。もう、よだれで脱水を起こしてしまうんではないかと心配になる豆シヴァと、目のあったところに大きな口が現れてそこから舌がはみ出て固まっているコモンハイキ。少し待たせすぎてしまったかと反省しながらそれぞれのさらに料理を盛りつけ、手を合わせる。
 「お待たせしました。いただきましょう。」
 「わおふ!」
 「わたしは食事を待たされたハイキ。」
 「申し訳ありませんでした。」
 2匹のなんとなくの抗議を受けたいけだは小さく肩をすくめ、食事に手を付け始める。まずは兎に角のハーブ焼き。当初心配していた臭みは見事に消え、その強力な筋力を表すような腿の弾力と一噛みするごとに甘い肉汁が口いっぱいに広がり、嚥下する際であっても、ハーブの香りと共に鼻に抜け、あとからあとから唾液があふれてくる。
 「ん~!これはおいしい。」
 納得のできに満足げないけだの声に呼応するように豆シヴァが吠える。口いっぱいに肉を詰め込んだ豆シヴァはあふれる肉汁の一滴も無駄にしないようにとせわしなく舌を口に這わせる。隣のコモンハイキはというと、顔の部分にできた口に一口肉を運び咀嚼するごとに目が大量に増え、落ち着くと次の一口を入れる。2匹とも満足そうに食べるのを見て、よかった、と小さく安堵する。
そろそろ、とスープに手を付け始める。取り分けたマグカップに入っていたスープは人肌より少し暖かいくらいまで冷めており、いけだでも飲める温度になっていた。少しだけ息を吹きかけて冷ますと、いけだはスープに口をつける。口いっぱいに広がるビーンズと兎に角肉の旨味が舌の真ん中あたりでとどまり、四方八方へとその存在を大きく誇示する。一度落ち着いた唾液腺が急激に開かれ、痛みにも似た感覚を覚えつつも、あふれ出した唾液が止まることはなく、あまりにも強い旨味の暴力を何とか薄めようと奮戦する。しかしながら手は止まらず、次へ次へとスープの具材を口の中に流し込む。兎に角肉はほろほろになっており、先ほどのソテーとは打って変わって崩れるような歯ごたえにもかかわらず、味の存在感は逃げることなくその香ばしさと甘みを存分に主張していた。そして、兎に角肉の旨味を吸ったビーンズたちが独特な触感のアクセント共に口中を旨味で塗り替えていく。

存分に楽しんだ1人と2匹は重たくなった腹を抱えて、焚火のそばでくつろいでいた。漫画のようにまん丸になったコモンハイキは段ボールの上で横になり、豆シヴァは一番暖かいところで丸くなって先ほどから小さないびきを立てている。いけだはというと、適当に拾ってきた段ボールを広げ、そのうえで無銘の書に何やらメモを取っていた。
―今回の兎に角料理は思いのほかおいしかった。ただ、下ごしらえに3日かかるところがネックだ。次は魚竿を使った料理をしてみよう。となれば、墨田川か神田川あたりかな?
そんなことをメモしているが、いつの間にか持っていた無銘の書を顔にかぶせそのまま眠ってしまう。ようやく動けるようになったコモンハイキが廃墟の中からコートと毛布をとってきて1人と1匹にかけ、自分もブランケットにくるまって静かに目を閉じた。